「努力」について考えてみる。
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皆さんこんにちは。西田です。

今回は元陸上競技選手である為末大さんのYouTube動画を紹介した記事になっています。
前回はこのような記事について書いたので、是非こちらもチェックしてみて下さい。

 

努力とは?

皆さんは「努力」という言葉にどのような印象を持ちますか?

今回私が視聴した動画のリンクを貼っておくので気になる人は見てみて下さい。

為末さん曰く、一般的に認識されている「努力」とは、ある目標に向かって意識的に労力を投下していく行為のことで、考えなくてもできるような例えば、「歩くこと」や「歯を磨くこと」など、習慣化されたことは努力とは言わないそうです。
また、努力とは方向一貫性のバランスが大切でもあるとこの動画では言っていました。

 

間違った「努力」の捉え方

そもそも努力とは明確に定義しづらいものです。

そして、その労力が努力なのか、はたまた夢中なのか、それとも遊びなのか。
それを区別するのは本人の主観的な感じ方次第です。

例えば、1000回シュートを決めるという行為を本人は努力だと思ってやっているのか、それとも夢中でシュートしていたら気づいたら1000回決めていたのか、はたまた楽しく遊びでやっていたら1000回になっていたのかを決めるのは本人なのです。なので、外部の人間がその人がやっている労力が努力なのか、努力ではないのかを判断することはそもそも不可能なことなのですが、残念ながら日本のスポーツ界では長らく、指導者によって強要された練習や辛いことを選手たちが乗り越える事が努力だと捉えられてきました。
ですが、このようなものは、よく指導者や教育者がよく言う「努力をすれば夢は叶う。」みたいな言葉でカモフラージュされたかなり曖昧で根拠がないものが多いです。

あくまで、「努力」というものは、ある労力を本人がどのような感じ方で費やしているのかという問題に過ぎず、その中にある方向性、一貫性、量などの構成要素から得たリターンの結果、成長につながるというものであり、その内訳を決めるのは本人なのです。
どのくらいの時間をかけてやるのか、どんな練習をするのか、何に向かって練習するのかなど、自分自身で決め、主体的に行って初めて、努力という行為が本人の中で再現性を持つことができます。その為、指導者などから押し付けられる労力や練習で達成した目標は本人の努力ではなくで、ただの押し付けた人の自己満足になってしまうのです。

 

努力から夢中へ

本人の感じ方次第でその労力が努力なのか夢中なのか遊びなのかは変わってくるという話をしました。
もちろん、頑張って努力をして良い成績やリターンがある方が一番達成感を感じられるかもしれませんが、実際には本人が夢中になって楽しくやった2時間のトレーニングの方が、間違った努力を信じ、怒られ、きつい練習を2時間やったトレーニング方よりも格段にトレーニング効果が大きいと言われています。
つまり、「本人の自覚している努力」と「間違った捉え方をした努力」よりも、本人がいかに楽しく、夢中にやれているかがトレーニングにおいては重要なのです。
そのためには、選手自身がどうすれば夢中になれるのかを知ることが大切で、為末さんは、「自分は何が好きで、どんなことに夢中になるのかを知る、つまり自分を知ることが重要である」ということを引退した後に感じたと言っていました。

 

まとめ

今回は努力に焦点を当てた為末さんの話を紹介して来ましたが、この動画の最後で為末さんが言った「結論から言うと、努力というものは存在しない。」という意味は、「夢中にやった方がトレーニング効果が大きい」ということや、「努力は方向、一貫性、量などが本人によってしっかりと定まっていないと労力に見合ったリターンを受けることが難しい」そして何よりも「努力は視覚化させることができない」という所から来ているのではないかと動画を見て感じる事ができました。

そして結論としては「努力」から「夢中」へと思考を変えること、そして変えるためには「自分を知る」が必要であるということでこの動画は終わっています。

今回この動画を見て感じたことは、指導者という職業は、選手がそのスポーツに夢中になれるような手助けや術を教えることができる唯一の職業なのではないかということです。そして、一指導者でもある私も、サッカーの面白さを伝え、選手自身がサッカーに夢中になってくれるような指導をしていかなければならないと、もう一度気を引き締められたそんな動画でした!

 

 

 

それではまた次回の記事でお会いしましょう!
最後まで読んで頂きありがとうございました!

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